キリンリキのしっぽのアレが考える

華氏451 (1966)

 

【監督】フランソワ・トリュフォー

【原作】華氏451度 (1953年)

【著者・レイ・ブラットベリ】

 

※ネタバレありです

 

451度とは紙が燃え始める温度

 

近未来…、思想管理社会によって本を読む読むことが禁止され、本を所持すれば容赦なく焼却される世界が舞台。

本来、火を消す役割りであった消防士が、ファイアマンとなって本を焼却するという斬新な設定がある作品です。

 

本を読むことが禁止され、テレビの映像をただ意味もなく視聴する人々。ファイアマンの主人公が禁止されているはずの書物に興味を抱き、次第に本の虜になっていく姿が印象的です。

 

この映画を観るたびに、現代でも同じような動きがあると感じてなりません。

嘘か本当の情報か分からないニュースや、面白い・ツマラナイという判断さえ制御してしまうテレビ。そのテレビに依存する主人公の妻。

どんなに思想管理をしても書物を所持する人間が後を絶たない状況で、ファイアマン

の主人公が体験する書物を読むという行為

 

現代ではスマートフォンSNSなどが当てはまりますが、様々な「それはどうなの…」という要素が「華氏451」と重なり、60年代、原作は50年代発表のも関わらず、的確な予言のように感じるシーンもたくさんあります。

 

戦争などの影響からか、映画でも閲覧禁止・上映禁止になった作品が多いですよね。そのような類で書物が影響を与えると思想管理がされている世界。

華氏451は書物によって過激な思想を植え付けられることを防ぐことから、ファイアマンによる焼却が行われる。

劇中では大量の本に囲まれながら一緒に炎に包まれ女性の姿からも、本を愛する人間の気持ちは決して焼却できないことが映し出されているような気がします。

 

ただ、ファイアマンである主人公の上司が書物の有害性について語るシーンは説得力がありました。

例えば「哲学者や思想家の書物は同じ主張の物ばかり、自分だけが正しく他者は馬鹿と書いている」など妙に納得できるし、読み手が感じる影響力は確かにあって、主人公も必死に書物への興味を隠していきます。

 

しかし、ついに書物を手にする主人公。

 次第に活字を読むこと・本の世界にハマっていきます。この世界では書物を読むことも所持することも許されないので、主人公は追われる立場になるのですが…

 

必死に逃げる主人公を待っていたのは、人里離れた森の中で暮らす人々。

森で暮らす人間たちは、文章を暗記して頭の中に記憶する原始的な方法によって書物を守っていました。

頭の中の文章までは焼却できませんし、老人が子どもに記憶した物語を音読している場面や、森に住む人間たちが文章を音読しながら歩く姿が心に残りましたね。

また消防車や小道具がレトロチックで可愛らしい所、バーナード・ハーマンによるBGMもお気に入りです。

 

劇中のオープニングにはスタッフを記す文字が存在せず、作品の世界観を象徴して口答でスタッフ紹介がされました。

また、主人公が新聞?に載っていた漫画を観るシーンでは、吹き出しに何もセリフが書かれておらず、漫画のセリフ文字も規制されている?ことが分かります。

 

何年も前からリメイクが進められているようですが、完成度の高い作品だと思うのでリメイクはしてほしくないです。